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もみじライン 大徳寺
大徳寺  (地図) 京都市北区紫野大徳寺町
大徳寺
大徳寺

 京都めぐり、大徳寺を旅行。

大徳寺は、紫野一帯に広大な寺地を占める京都の北部、洛北屈指の禅刹。臨済宗大徳寺の総本山である。また、名高い茶人で大徳寺ゆかりのない者はいないとされ、茶の湯の「本山」としても知られる。この巨刹の歴史は、正和4年(1315)ないし元応元年(1319)頃、播磨の守護であった赤松則村(あかまつのりむら)が、夢窓疎石(むそうそせき)とともに禅宗の双璧と称された宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)を開山として小院を建てたのに始る。
ほどなく皇室の外護もあって寺域を拡大し、伽藍も整う。正慶2年(1333)には、後醍醐天皇から直筆の「本朝無双之禅苑」の文書を受け、また、京都の五山制度において南禅寺の次という高い寺格も与えられた。
しかし足利政権では冷遇され、五山の下の十刹の第9位にまで下げられる。のち、応仁の乱の兵火を浴びて建物を焼亡し、大徳寺の寺勢は衰退。これを復興したのが一休宗純、あの一休さんである。

 京都めぐり、一休宗純を旅行。

生涯のほとんどを小庵や市井に住んだ一休は、40代のときと晩年の一時期、短い時期ではあるが大徳寺の住職を2度務めた。その徳を慕って多くの文人が参禅したが、茶の湯の祖・田村殊光との交わりは、大徳寺と茶の湯の深い結びつきの始まりとなって、これが利休による茶の湯の完成へとつながってゆく。
 また、堺の大商人の経済援助を受け、伽藍が整えられた。戦国末期には大徳寺に帰依した大名たちが次々と塔頭を建てるなど、寺運は隆盛に向かい、織田、豊臣、ついで徳川の援助もあって、ついには洛北第一の巨刹となった。
 明治維新に際しては、かなりの寺地、塔頭を失うが、近世再建の山内の建物は現在もよく残っており、勅使門、金毛閣とも呼ばれる山門、仏殿、法堂が一直線に並び、脇に経蔵、鐘楼などの諸堂や塔頭の建つ伽藍配置は、禅宗寺院の典型例とされる。

 京都めぐり、金毛閣を旅行。

大徳寺の山門は、千利休切腹の因をなしたといわれる。当時初層がつくられただけで放置されていた山門をみた利休は、上層金毛閣を加えこれを完成させた。上層には、諸仏とともに利休の木像が納められた。しかし、それが秀吉の怒りを買った。この秀吉に股下をくぐらせるのか、というわけである。
 大徳寺の境内は、開門時間内には自由出入りできるが、建物は公開さえていない。
 23を数える塔頭のうち、常時拝観できるのものは、龍源院(りゅうげんいん)、大仙院、瑞峰院(ずいほういん)、高桐院(こうとういん)の4つである。
金毛閣
金毛閣
龍源院
龍源院

 京都めぐり、龍源院を旅行。

龍源院(りゅうげんいん)は、文亀2年(1502)創建。本堂(重文)は創建当時のもので、塔頭の中でも古い建築物。方丈北庭は相阿弥(そうあみ)作と伝えられる、簡素な美しさの枯山水庭園がある。

 京都めぐり、大仙院を旅行。

大仙院は、永正6年(1509)創建。同じ頃に建てられた本堂(国宝)は、近世塔頭方丈の基本形をなすといわれる。書院脇には、室町時代の枯山水庭園(特別名勝)がある。
大仙院
大仙院

 京都めぐり、瑞峰院を旅行。

瑞峰院(ずいほういん)は、キリシタン大名として知られる大友宗麟(おおともそうりん)が創建。本堂(重文)は創建当時の建物で、枯山水庭園には、十字架をかたどったとされる石組みが配されている。

 京都めぐり、高桐院を旅行。

高桐院(こうとういん)は、利休七哲の1人である細川忠興(ほそかわただおき)が慶長6年(1601)に創建。書院は、利休の邸宅を移築したものという。忠興とガラシャ夫人の墓は、千利休から遺贈された石灯籠が墓石のかわりになっている。
高桐院
高桐院

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