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もみじライン 永観堂
永観堂(禅林寺) (地図) 京都市左京区永観堂町48

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永観堂を旅行。

永観堂
永観堂
永観堂は、本尊の「見返り阿弥陀」と、見事な紅葉で知られる浄土宗の寺。復興に功のあった永観律師(ようかんりっし)にちなみ、「ようかん」を「えいかん」と発し、永観堂と通称され、親しまれている。平安中期の承暦年間(1077〜81)、永観堂の由来となる永観が、7世として入寺する。永観は東大寺に学び、その戒壇院で具足戒を受けて三論を修めるとともに、早くより念仏の行をを行っており、禅林寺に帰住すると、新たに東南院を建てて浄土教の念仏道場とする。
この頃から、一時衰微していた寺運が興隆に向かったため、永観は中興開山とされ、永観堂の名も生まれたのである。
鎌倉時代に入ると、12世紀お情遍は、法然の「選択(せんちゃく)本願念仏集」に触発されて浄土宗に転じる。下って、文永年間(1264〜75)には、浄土宗西山派(せいざんは)の開祖証空(しょうくう)の弟子で、西山西谷流の祖である浄音(じょうおん)が、17世として入寺し、正式に転宗して、西山禅林寺派本山たる基礎を築いた。
永観後、もっとも隆盛した平安末期から鎌倉にかけては、北は鹿ヶ谷(ししだに)、西は鴨川まで、南は現在の南禅寺の地をも含む広大な寺域を誇った。しかし、亀山上皇が離宮であった禅林寺殿を南禅寺に改めるにあたって縮小され、また、応仁の乱で荒廃して、寺勢は衰微してゆく。明応6年(1497)に朝廷によって再興に着手され、豊臣秀吉、徳川家康らの寄進もあり、寺観が整えられた。

 京都めぐり、
岩がき紅葉を旅行。

平安前期の歌人・藤原関雄(ふじわらせきお)の山荘があった場所で、「古今集」では
 奥山の岩かき紅葉散りぬべし
 照る日の光見る時なくて
と、山荘での暮らしぶりが歌われている。その山荘を、空海の高弟である真紹(しんしょう)が寺に改め、鎮護国家の道場となしたのが、永観堂の起こりといわれる。貞観5年(836)、禅林寺の号を清和天皇より賜った。
もみじ
岩がき紅葉
見返り阿弥陀1
見返り阿弥陀
見返り阿弥陀2

 京都めぐり、見返り阿弥陀を旅行。

永観堂を語るなら、「見返り阿弥陀」にまつわる話にふれないわけにはゆかないだろう。あるとき、永観が、阿弥陀如来像の周りを行道念仏していると、阿弥陀如来が壇を降り、永観を先導するように、行道された。驚いた永観が足を止めると、阿弥陀如来は振り向きざま、「永観遅し」と言われたという。以来、見返りの姿のままに、本尊として奉安されてきたのだそうである。現在、本堂内陣中央の厨子内に安置される阿弥陀如来がそれで、「見返り阿弥陀」の通称が示すように、左斜め後ろに目を落とした珍しい姿をしている。実際には、製作年代を永観の時代までさかのぼることはできず、鎌倉時代の作と推定されているが、珍しい姿と高さ80センチ弱と小柄な親しみを感じさせる像容が、そのような伝承を生んだのであろう。京都六阿弥陀仏の第2番にも列せられている。

 京都めぐり、本堂を旅行。

入母屋造、本瓦葺。大阪四天王寺から京都への移築とも伝えられる近世初期の建物で、正面、側面の柱の間に蔀(しとみ)が設けられ、寝殿造風であるが、桃山風も随所に見られる。内陣天井の、種々の花々が極彩色で描かれた「百花の図」がとくに目をひく。永観堂の本尊の「見返り阿弥陀」のほか、脇壇に、十一面観音菩薩像、地蔵菩薩像、永観律師像を安置する。
阿弥陀堂
本堂(阿弥陀堂)
方丈
方丈(釈迦堂)

 京都めぐり、方丈を旅行。

本堂に次いで古いとされる建物。釈迦三尊像を安置したところから、釈迦堂とも呼ばれる。建物自体より古い長谷川等伯筆(はせがわとうはく)と伝える「竹虎図」の襖絵、土佐光信の筆と伝える三十六歌仙図などがある。

 京都めぐり、臥竜廊を旅行。

御影堂(祖師堂)を中心として、本堂や開山堂などの建物間を結んで延びる、長い渡り廊下のこと。永観堂の大きな特色ともなっている。
臥竜廊
臥竜廊

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