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もみじライン 清水寺
清水寺  (地図) 京都市東山区清水一丁目

 京都めぐり、清水寺を旅行。

清水寺
清水寺は、東山音羽山麓に広がる堂塔伽藍(どうとうがらん)を配した大寺で、京都にあっても特に著名な寺のひとつである。なかでも、本堂に設けられた舞台は、「清水の舞台から飛び降りる」という表現もなされるほど、京都の顔として全国にその名が轟いている。歴史は、古く、開基は奈良時代の末、宝亀年間(770~780)にさかのぼる。大和国小島寺の延鎮上人(えんちん)が、夢のお告げにより清水流れるこの地にたどりつき、草庵をむすんで観音像をまつったのが、清水寺の起こりとされる。
鹿狩りの途中にここを訪れた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、延鎮に出会い殺生の非を諭されて深く帰依するようになり、堂舎を建立、北観音寺と称した。平安遷都ののち、田村麻呂の東征、桓武天皇の病気平癒祈願に霊験を示し、朝廷からも厚く遇された。延暦24年(805)には、勅願所となり、この頃より清水寺は、音羽清水寺と号する。さらに、嵯峨天皇のときには、国家鎮護の道場となる。

 京都めぐり、田村堂を旅行。

田村堂
清水寺は霊験あらたかな観音の寺として平安時代より多くの参拝者が訪れた。平安末期の歌謡集には観音霊場の筆頭として清水寺の名がみられる。平安末期には成立していたと考えられる「西国三十三所」の第十六番霊場にも清水寺の名が列せられてもいる。 しかし、法相宗の寺として南都興福寺に属したため(現在は北法相宗として独立)、平安末期の南都北嶺の争いでは、京都における南都勢力の拠点となる。そのため、しばしば叡山僧兵らによる焼き討ちにあった。また、応仁の乱の兵火でもほぼ全焼するなど、幾度となく焼失と再建とが繰り返されてきた。 ほぼ現在の規模の清水寺に整備されるのは寛永10年(1633)で、京都の名所「清水の舞台」を備えた懸造(がげづくり)の本堂も、この時に建立されたものである。世界文化遺産登録。

 京都めぐり、本堂を旅行。

本堂
本堂
雄大にして優美な、京都、清水寺の代表的な建物で、寛永10年(1633)に徳川家光によって再建された。(国宝)
懸崖作りと言われる、139本の太い支柱に支えられて崖に臨んで建つ。観音菩薩が補陀落とう山に住むという事にちなんだものと考えられ、京都の清水寺の他、滋賀県の石山寺本堂、奈良の長谷寺本堂など、観音を本尊とする堂に、この様式を見ることが出来る。

 京都めぐり、清水寺の舞台を旅行。

高さ11メートルという「清水の舞台」は、舞楽などを奉納するために設けられた前面が舞台で、京都の市街が一望でき、旅行者を感嘆させる。本堂内部、内々陣須弥壇上(しゅみだん)の三つの厨子内には本堂の十一面千手千眼観音像とその脇侍である勝軍地蔵、勝敵毘沙門天像が安置されている。京都に似つかわしい複雑な屋根の形が美しい。
清水の舞台 清水の舞台2

 京都めぐり、三重塔を旅行。

三重塔は昭和62年に解体修理され、寛永10年(1633)再建当時の姿に復した。(重文)清水寺のものわが国の三重塔で最大。

 京都めぐり、西門を旅行。

三重塔の西に立つ八脚門。(重文)桃山時代の様式をとどめる豪華な門だが、通行はできない。
三重塔、西門
仁王門

 京都めぐり、仁王門を旅行。

清水坂の突きあたりに立ち、京都は清水寺の顔ともいうべき桜門。(重文)丹塗りの堂々たる外観で、赤門とも呼ばれる。正面に揚げられた「清水寺」の額は、藤原行成の筆と伝えられる。

 京都めぐり、音羽の滝を旅行。

本堂東の石段を降りた所、奥の院の崖下にある滝。清水寺の名の由来でもある、延鎮の訪ねあてた清水はこの滝であるという。三本の筧から水を落とすささやかな滝だが、万病に効くといわれ、京都を訪れる旅行者、水垢離する人が絶えない。
音羽の滝
子安の塔

 京都めぐり、子安の塔を旅行。

江戸時代初期の再建。(重文)子安観音をまつる総丹塗りの軽快な三重塔

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