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もみじライン 高台寺
高台寺  (地図) 京都府京都市東山区下河原町526

 京都めぐり、高台寺を旅行。

高台寺
    高台寺
高台寺は、京都東山霊山山麓にたたずむ寺。豊臣秀吉の正室、ねね(北政所、出家して高台院)が秀吉没後、余生を過ごすために築いた。秀吉の生前、ねねが住んでいた場所はもちろん大阪城である。しかし、秀吉が病死すると、秀吉の遺児秀頼が淀君とともに伏見から移ってきたため、ねねは京都に移ることを決意。当時、秀吉をまつる豊国神社の建設と、ねねの生母朝日を弔う康徳時(こうとくじ)の両方が京都で建設されていた。気の合わない人々と暮らすより、京都で、静かに死者の冥福を祈るほうを選んだのであろう。
京都に移って数年は三本木に暮らしたが、慶長10年(1605)高台寺を造営し、高台寺をついの住みかと定めた。この間には関が原の戦いがあったが、時代の流れを見極めていたねねは、親しい大名達に家康の軍につくことをすすめていたという。一方、家康もねねの存在の大きさをよく知っており、高台寺の建設には大いに協力した。もっとも実際に工事を進めたのは、尾張時代から秀吉のもとにいた加藤清正、浅野長政、福島正則らである。彼らの尽力によって翌年完成した高台寺は、伏見城の遺構をふんだんに移築したこともあって、壮麗を極めるものとなった。その後のねねの生涯は、史実上は京都で平穏にあったとされるが、徳川幕府の動向から考えると、さほど心穏やかに暮らしていたとは考えにくい。大阪城の落城、豊国神社の破却など、豊臣家の栄光は家康によって次々と踏みにじられ、親しい人々の多くも没してしまった。子宝に恵まれなかったねねが実の子のように可愛がってきた加藤清正、浅野長政、福島正則の三人も、ねねに先んじて世を去った。高台寺は、創建当時曹洞宗であったが、寛永元年(1624)、ねねは没する直前に寺を建仁寺の長老、三江紹益(さんこうじょうえき)に託す。
三江は名僧であり、また豊臣ゆかりの人々とも交流がある、ということで、宗派が違うのを押して招かれたのである。それより臨済宗建仁寺派に属し、現在にいたっている。しかし、江戸時代にたびたび火災にあって大半の建物を失い、創建当時のものとしては現在、開山堂、霊屋(おたまや)、表門(薬医門。現在の京都の寺地からは少し離れている)などが残るにすぎない。

 京都めぐり、三江紹益を旅行。

三江紹益
三江紹益

 京都めぐり、開山堂を旅行。

もと持仏堂で、内部には草花図、天女図が極彩色で描かれている(重文)。三江紹益の像などがまつられている
開山堂
開山堂
霊屋
霊屋(おたまや)

 京都めぐり、霊屋を旅行。

ささやかな外観に反し、内部は京都らしい桃山文化の粋を凝らしている。なかでも須弥壇(しゅみだん)や厨子扉の黒漆塗り金蒔絵の豪華な装飾は、高台寺蒔絵として著名。厨子内には秀吉と北政所の坐像が安置されている

 京都めぐり、傘亭・時雨亭を旅行。

伏見城内にあった茶室をねねの希望により高台寺へ移築したと伝える。北の傘亭と時雨亭が向かい合って立ち、高台寺の2茶室は土間廊下でつながっている。傘亭は宝形造で、屋根を支える垂木が傘の骨のように放射線状になっていることからこの名がつけられた。時雨亭は2階建で、2階で京都の眺望を楽しみながら茶をたてる趣向であった。
傘亭
傘亭
時雨亭
時雨亭

 京都めぐり、庭園を旅行。

高台寺の庭は、小堀遠州の作庭と伝えられる池庭(名勝)。萩が多く、京都の東山の山々を借景として枯淡の深い味わいが旅行者を感嘆させる。
庭園
庭園

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