京都旅行寺めぐり |
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| 京都御所 (地図) 京都市上京区京都御苑内 |
![]() 京都御所・ 紫宸殿(ししんでん) ![]() 京都御所・ 清涼殿(せいりょうでん)内 |
京都めぐり、京都御所を旅行。京都のシンボルともいえる京都御苑は、北は今出川通りから南は丸太町通りまで、東は寺町通り西は烏丸通りまでの広大な敷地を占める。京都御所はその北部にあり、築地塀(ついじぺい)に囲まれている。 ふだん、一般には公開されていないが、御苑を散策すると桧皮葺(ひわだぶき)の屋根が望まれる。平安時代には京都御所という呼び名はなく、天皇の住まいは内裏(だいり)と呼ばれた。場所は現在の大宮通りの近く、一条と二条の間のあたりで、今の御所の1キロほど西である。 平安時代の御所は安貞元年(1227)に火災で失われるが再建はされず、天皇は里内裏(さとだいり)と呼ばれる貴族の邸宅で生活した。 |
| 実は平安末期より天皇は里内裏で生活することが多くなっており、その数も約30ヵ所に及んだ。南北朝時代のはじめ、もと大納言(だいなごん)・藤原邦綱(ふじわらのくにつな)の邸宅であった土御門(つちみかど)御所で光厳(こうごん)天皇が即位すると、以後はこの御殿が皇居の役割を果たす。これが現在の京都御所のもとになっている。 この御所は応仁の乱ですっかり荒廃していたが、織田信長が大修理を施し体裁を整えた。さらに豊臣秀吉が天下統一後に大がかりな造営を行い、現在の京都御所の形がほぼ出来上がった。次いで徳川家康も大規模な造営をおこなっている。 しかし、江戸時代にもたびたび火災に見舞われ修築を繰り返している。安政2年(1855)江戸時代最後の大工事が行われているが、その13年後、天皇は東京に移ってしまった。 なお、現在の京都御苑はほとんどが緑地になっているが、秀吉の時代から江戸時代まで御所を囲むように公家屋敷が立ち並んでいた。 現在のように御苑の辺りに土塁を築き、芝生や樹木を植えたのは明治10年ごろである。 しかし、蛤(はまぐり)御門、中立売御門、乾(いぬい)御門など9つの門は当時からあったもので、幕末に蛤御門付近で長州藩が会津・薩摩藩と戦ったことは禁門(きんもん)の変として知られる。 |
京都めぐり、紫宸殿を旅行。紫宸殿(ししんでん)は、歴代天皇の即位式が行われた。総檜の寝殿造建築で内部は板敷き。現在の建物は幕末に平安時代の姿を復元したもの。殿内には間仕切りがなく、大広間となっている。床が高く作られているのは、社殿の重要さを表す。正面の階段の東に左近の桜、西に右近の橘がある。南庭に白砂を敷き、周囲に朱塗りの回廊をめぐらす。 |
![]() 紫宸殿 |
![]() 清涼殿 |
京都めぐり、清涼殿を旅行。清涼殿(せいりょうでん)は、天皇の居所に使われていた。寝殿造。紫宸殿と異なり、内部は多数の部屋に分かれる。間仕切りは絵襖[えぶすま・鳥居障子(とりいしょうじ)]で、書院造への接近が見られる。東庭に白砂を敷き、呉竹(くれたけ)、漢竹(かわたけ)を植える |
京都めぐり、小御所を旅行。小御所(こごしょ)は、江戸時代の建物を模して昭和34年に再建。寝殿造と書院造の中間のような建物で、内部は畳敷きだが、床の間や飾り棚は設けられていないところに特色がある。 |
![]() 小御所 |
![]() 御学問所 |
京都めぐり、御学問所を旅行。御学問所(おがくもんしょ)は、小御所と同じく外観が寝殿造で内部は書院造。床や棚のほか明かり障子や押入れもあり、小御所以上に書院造に近い |
京都めぐり、仙洞御所を旅行。仙洞御所(せんとうごしょ)は上皇の居所に使われていた。現在茶室と茶室以外の建物は失われているが、江戸時代に徳川家光が小堀遠州に命じて造営した大庭園が残る。 |
![]() 醒花亭 |
南池 |
京都めぐり、大庭園を旅行。南北2つの大池を中心とした池泉(ちせん)式庭園は、変化に富んだ景観で名高い。南池の州浜に並べられた玉石は江戸時代に小田原海岸で集められたもので、米と交換したことから一升石という。 |
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