京都旅行寺めぐり |
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| 仁和寺 | ||
| 仁和寺 (地図) 京都市右京区御室大内33 |
![]() 仁和寺・二王門 |
京都めぐり、仁和寺を旅行。京都西郊にあたるこの一帯は、景勝の地として知られ、平安時代には宮廷貴族たちが競って別荘、山荘を営んだ。貴族たちの中には、当時流行しはじめた阿弥陀信仰にふれて、晩年、山荘を寺に改める者があらわれ、それはしだいに増えゆく。仁和寺もそんな寺の1つである。 |
| 発願したのは高齢で即位した光孝(こうこう)天皇。仁和2年(886)、建立に着手するが、翌年没し、宇多(うだ)天皇がこれを引き継ぐ。そして、同4年(888)金堂が完成し、仁和寺の創建がなるのである。仁和寺の寺名はこのときの元号に由来している。 のち、宇多天皇は若くして譲位、出家し、初の法皇となって、寺内に室(僧房)を営んだ。それは高貴の人がすむゆえに御室(おむろ)と呼ばれ、仁和寺は御室所と通称されるようになって、ついには御室が一帯の地名にまでなったのである。 その後、仁和寺は徐々に寺観を整え、平安時代末期から、鎌倉時代にかけての最盛時には仁和寺の寺域が8キロメートル四方、70に達する子院を誇る大寺となったというが、室町時代にはいると、事態は一変する。新興の武士階級に支えられた禅宗の興隆により力を弱めた仁和寺は、応仁の乱の兵火によって全山を焼亡し、壊滅状態に陥る。 復興は、日本国内がようやく安定をみる江戸時代まで待たなければならなかった。仁和寺の再興事業は3代将軍徳川家光の援助で行われ、寛永14年(1637)着工、約10年後の正保3年(1646)に完成。有名な御室の桜も、この頃から植えられるようになったものという。一時は、堂塔30余を数えるまでに復興したというが、明治の中期に、再び火災があり多くを失う。現在の御殿は大正3年に完成した復元建物である。宇多天皇以来、住職は皇族が努め、明治維新の純仁(じゅんにん)法親王まで、それは30代にわたった。 また、仁和寺に伝わるいけばな作法は、御室流華道として現在も華道界の一派をなす。世界遺産登録 |
京都めぐり、金堂を旅行。寛永の復興の際、御所の慶長年間に造営された紫宸殿(ししんでん)を移築。桧皮葺(ひわだぶき)であった屋根が本瓦葺に替えられている以外は原型をそのまま残す。 |
![]() 金堂 |
![]() 遼廓亭 |
京都めぐり、
仁和寺御殿は、本坊、宸殿、白書院、黒書院からなる。明治の火災により再建されたものだが、門跡寺院の伝統をよく残し、宮廷風の雅やかさを漂わす。庭園の西北に尾形光琳(おがたこうりん)邸から移築したと伝える茶室・遼廓亭(りょうかくてい・重文)、東北に光格(こうかく)天皇が好まれた茶室(重文)を配する。 |
京都めぐり、五重塔を旅行。仁和寺の五重塔は、寛永の復興の際に建てられた、近世五重塔建築の代表例(重文)。屋根の大きさが上層でもあまり小さくならず、したがって安定感に欠ける反面、どっしりとした重量感がある。 |
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京都めぐり、御室八十八所を旅行。29世法親王が造営したもの。寺の裏の成就(じょうじゅ)山に、2.7メートル四方の堂を八十八建て、それらの堂の下に四国八十八所の堂下から集めた1にぎりの土を敷いてある。約2時間で一巡できる。 |
京都めぐり、霊宝館を旅行。創建当時のもといわれる阿弥陀三尊像(国宝)や宋から持ち込まれた孔雀明王像(国宝)などの多くの寺宝を収蔵。 |
![]() 御室の桜 |
京都めぐり、御室の桜を旅行。名勝。約200本の桜は里桜で、開花は4月上旬。京都の桜の名所のひとつである。 |
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