京都旅行寺めぐり |
京都 | |
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| 西本願寺 | ||
| 西本願寺 (地図) 京都市下京区堀川通花屋町下る門前町 |
京都めぐり、 |
西本願寺(国宝)は浄土真宗本願寺派の本山。京都の人たちは親しみをこめて「お西さん」と呼ぶ。西本願寺は正式には本願寺という。京都、堀川通りに面した外観はさながらお城のようだが、賑やかな京都に終日門徒の参拝が絶えない。 宗祖親鸞は、承安三年(1173)日野有範の子として誕生、比叡山で20年間にわたって天台の修行を行った後、法然のもとに入門した。しかし、念仏門の興隆は既成仏教勢力の反発を招き、承元元年(1207)法然と有力門弟が罪科に処せられ、親鸞は越後に流罪となった。 |
| 親鸞の末娘・覚信尼が親鸞の廟所を東山大谷の地に建て、これが本願寺へと発展していく。初期の本願寺は小規模の物であったが、室町時代の中頃、八代宗主蓮如が民衆の言葉で綴った文書による布教を積極的に行った。しかし、本願寺の著しい興隆は比叡山僧徒の反発を買い、寛正六年(1465)大谷 本願寺は破却された。寺を失った蓮如は近畿の各地を転々とした後、北陸に拠点をおき布教活動を続け、文明十年(1478)京都に巨大な寺内町をもつ山科、本願寺を建立、引退後に大阪の石山に構えた坊舎が後に石山本願寺となる。 戦国時代に入ると本願寺は織田信長と11年間に渡る石山合戦を行い、和睦の後、和歌山、和泉などに寺を移し、天正十九年(1591)豊臣秀吉から京都六条に寺の寄進を受け、諸堂を整備。今日に至っている。尚、慶応七年(1602)東本願寺が別立。従来東西、本願寺の末寺などが門徒宗と称してきたが,一向宗と公称するよう命じた。同年東西、本願寺はその処置に抗し,浄土真宗の公称について,弁官へ嘆願書を提出したが許されなかった。71年京都府は,宗名を一向宗と称するよう達を出したが,東西、本願寺は直ちに浄土真宗の公称許可を京都府に願い出た。72年政府はようやく一向宗を真宗と称する事を許可したが,浄土宗の立場を考えてか,浄土真宗の名を許さなかった。81年6月,東本願寺派を真宗大谷派,西本願寺派を真宗本願寺派と改めた。第2次大戦後,西本願寺は宗名に浄土を付け浄土真宗、本願寺派と称するようになった。世界文化遺産登録 |
京都めぐり、御影堂を旅行。寛永十三年(1636)再建(重文)。本願寺の中心的建物で、親鸞聖人木像を安置。 |
![]() 御影堂 |
京都めぐり、書院を旅行。桃山時代の建築で伏見城の遺構と伝えられる。現存する最大級の書院造の建築(国宝)で、西本願寺内、内部は二百三畳の広さを持つ対面所、賓客を迎えるのに使われた白書院などに分かれる。欄間の彫刻、障壁画など、御影堂に限らず西本願寺には桃山文化の粋を伝え、京都旅行を印象付けるものが多い。 |
京都めぐり、飛雲閣を旅行。滴翠園(名勝)の中に建つ三層の楼閣(国宝)。もとは聚楽第(じゅらくだい)い豊臣秀吉の邸宅として、天正十六年(1588)に建てられ、池中に浮かぶ楼閣であった。京都では、金閣、銀閣とともに洛陽三閣に数えられる。非公開。 |
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京都めぐり、唐門を旅行。唐門(国宝)は四脚門で鳥獣、草花、人物などの彫刻で華麗に彫刻されている。西本願寺を訪れ、丹念に眺めると日の暮れるのも忘れるというところから、日暮門とも言われ、旅行をする者の目を留める。京都めぐり、北能舞台を旅行。京都はもちろん、日本最古で最大の能舞台もある。(国宝)天正九年(1581)建立。 |
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京都めぐり、対面所を旅行。西本願寺内、対面所、上段の間に描かれた壁画葉、その前に座る人を大きく見せるためという、逆遠近法がとられている。上々段、上段、下段から成り、天井、壁、襖、障子に障壁画が描かれ、京都でも大規模書院造の代表である。 |
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