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もみじライン 勝林院
勝林院  (地図) 京都市左京区大原勝林院町
勝林院・本堂勝林院・本堂

 京都めぐり、勝林院を旅行。

勝林院(しょうりんいん)は、三千院のほど近くにある、ひっそりとした小さな寺。「大原問答」の会場になった場所として知られるが、現在の境内には本堂と鐘楼(しょうろう)がけが残る。勝林院は平安時代の末、寂源(じゃくげん)によって創建された。寂源は左大臣の息子として生まれたが、19歳で出家し延暦寺に入った。
寂源は天台宗の声明音律を学んでいたが、既存仏教のあり方にあきたらず、大原に道場を移し魚山(ぎょざん)号した。以来、大原は教団を離れた創たちが独自の信仰を求めて住み着く場所となり、勝林院は大原魚山流声明根本道場として栄えた。文治2年(1186)、この大原に招かれた法然も延暦寺を離れた経歴の持ち主である。法然は比叡山を下りた後東山に庵を営み、念仏を唱えることで救われると教えた。法然の評判はしだいに高まり、大原の僧たちも興味を持った。そこで当時魚山を代表する立場にあった顕真(けんしん)が法然を招き、質疑応答を交した。勝林院には300人の聴衆が集まったが、ことごとく法然の説法に感服し、そろって念仏を唱したという。これがいわゆる「大原問答」で、法然の名とともに勝林院の名も高まった。
 明治維新までは塔頭として宝泉院、実光院などの4院を擁してたが、維新後はそれぞれ独立し、本堂だけが勝林院として残った。

 京都めぐり、本堂を旅行。

安永7年(1778)の再建。天台宗特有の堂々とした建物で、魚山の根本道場らしい重々しさを見せている。本尊の阿弥陀如来像は元文2年(1737)に補修されたもの。大原問答の際に本尊の手から光が発せられ、「念仏は衆生を救う」という証拠をあらわしたという伝説から、証拠のの阿弥陀と呼ばれる。本堂全体を証拠阿弥陀堂ともいう。
阿弥陀如来像阿弥陀如来像
宝泉院宝泉院

 京都めぐり、宝泉院を旅行。

宝泉院(ほうせんいん)は、勝林院の本堂西側にある。実光院(じっこういん)と同じく勝林院の小院。平安時代末に声明(しょうみょう)研究の専門寺院として開かれた。現在の書院は文亀2年(1502)の再建だが、廊下の天井は伏見城の再建で「血天井」と呼ばれる。
 「血天井」といえば養源院が有名だが、宝泉院も同じく、鳥居元忠(とりいもとただ)が自刃したときの血が染みた板と伝えられる。

 京都めぐり、実光院を旅行。

三千院と勝林院との間にある。こぢんまりとしたたたずまいは邸宅の様に見えるが、もとは勝林院の一部で、修行増の住まいとして建てられたものである。はじめ、大原陵の地にあったが、大正8年(1919)に現在の場所に移った。勝林院には4つの子院があったが、現在残るのは実光院のほか、宝泉院だけとなっている。かってあった普賢院(ふげんいん)、理覚院(りかくいん)は実光院が移転する際に実光院に吸収されたが、庭園にその名をとどめる。
実光院実光院

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