京都旅行寺めぐり |
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| 智積院 | ||
| 智積院(ちしゃくいん)(地図) 京都市東山区大和大路通七条下る東瓦町 |
智積院 |
京都めぐり、智積院を旅行。智積院は、七条通の東の突き当たりに位置する智積院は、豊臣秀吉との因縁が深い。この地はかつて秀吉が建てた祥雲禅寺(しょううんぜんじ)という寺があった。これは秀吉の最初の男児、鶴松(つるまつ)の菩提を弔うために築かれた。長く子供に恵まれなかった秀吉は、53歳にしてもうけた鶴松を溺愛したが、天正19年(1591)鶴松は3歳の幼さで病没した。 |
| 一方、その頃の智積院は秀吉のために寺を失っていた。もともと智積院は紀州根来(ねごろ)寺内に開かれた学坊の名である。根来寺は戦国時代に最盛期を迎え、2700余りの坊舎を有するほどの勢力を誇っていたいう。また根来衆と呼ばれた寺の僧兵たちは鉄砲隊を組織して、織田信長や豊臣秀吉に敵対していた。しかし天正13年(1585)天下統一に燃える秀吉は10万の軍勢を率いて紀州制圧に乗り出す。さすがの根来衆もこれにはかなわず、根来山はことごとく焼き払われてしまった。 以後、根来寺の門徒は高野山や京都を転々としていたが、この間に徳川家康の帰依を受けたことが智積院再興へとつながる。元和元年(1615)豊臣家を滅ぼした家康は、祥雲禅寺をそっくり智積院に寄進したのである。 |
京都めぐり、金堂を旅行。江戸時代の智積院は学僧3000人を数えるほどに隆盛し、学山と称された。当時の建物は火災で失い、げんざいの金堂、本堂、大書院などは新しく再建されたものである。収蔵庫に展示されている障壁画や、名勝庭園などに桃山文化の名残を伝える。 |
金堂 |
庭園 |
京都めぐり、庭園を旅行。名勝、祥雲禅寺の庭園を江戸時代初期に修築。池泉観賞式庭園で、利休好みといわれる。池が書院の下まで伸びた珍しいもので、サツキの開花時期が一段と美しい。 |
京都めぐり、障壁画を旅行。長谷川等伯(はせがわとうはく)一派の作(国宝)。大和絵の伝統を生かしつつ、立体感あふれる豪華な作品。特に桜図、楓図が有名。 |
桜図 |
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