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もみじライン 東福寺
東福寺  (地図) 京都市東山区本町十五丁目
通天の紅葉通天の紅葉
東福寺東福寺

 京都めぐり、東福寺を旅行。

京都は東山南端、月輪(つきのわ)山の山裾に位置する京都屈指の大禅刹。広大な、変化に富む地形をたくみに利用して伽藍を配し、特徴ある偉容を見せている。本堂と開山堂を結ぶ回廊通天橋(つうてんきょう)の架かる渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)の一帯は、2千本といわれる楓あり、「通天の紅葉」とうたわれる紅葉の名所でもある。
 嘉禎2年(1236)、時の摂政・九条道家(くじょうみちいえ)の発願により、京都最大の伽藍を目指し、東福寺造営が開始された。東福寺は、奈良の東大寺、興福寺から、1字ずつをとって名付けられたという。約10年後に、開山として、宋より帰朝した円爾辨円(えんじべんえん)を迎え、落慶供養会が挙行されたのは、造営開始よりじつに19年を経た建長7年(1255)のことであった。
 道家は、実の次子の密告によって窮地に陥り、失意のうちに、九条家の菩提寺にと考えたこの寺の完成を待たずに没しており、道家の三男で一条家の祖であるさ実経(さねつね)がこれを行っている。旧仏教との摩擦を避ける意味もあったのであろうか、東福寺は、当初は、天台、真言、禅の三宗兼修の道場であった。
 その後も、九条家、一条家によって造営事業は継続され、いよいよ並外れた寺観を呈するようになるが、14世紀に入ると、3度にわたって火災にあい、大部分を焼失する。しかし、3度目の火災の10年後、貞和3年(正平元、1346)には一条経通(つねみち)によって仏殿の上棟が行われ、約20年後にはその偉観を取り戻す。
 東福寺は、焼失前すでに京都五山に列せられていたため、この復興は、完全な禅宗寺院を目指して行われたものであり、以降、室町幕府の保護もあって寺運隆盛する。その壮観は、俗に「東福寺の伽藍面」といわれるほどであった。
 ほかの五山がことごとく応仁の乱によって焼失したのに対し、東福寺は、塔頭の大半は焼失したものの、本坊は幸いにして難を免れてそのままに残された。桃山時代は秀吉に、江戸時代に徳川幕府によって保護、修理もなされて、長らくは京都最大の禅苑として繁栄を続ける。広大な境内には多数の堂塔、塔頭が並び、山内の僧侶の数も、江戸の中期には千数百人に達したという。

 京都めぐり、仏殿を旅行。

東福寺は、明治維新に際して少なからず寺領を失い、境内も縮小される。また、明治14年には、方丈から出火し、惜しくも仏殿、法堂(はっとう)をも焼失してしまった。現在の本堂は、昭和9年に仏殿、法堂を兼ねて再建されたものである。なお、開山の円爾は、花園天皇より聖(しょう)一国師の号を賜る。これが日本初の国師号であり、日本禅僧初の賜号であるとされている。
仏殿仏殿
三門三門

 京都めぐり、三門を旅行。

入母屋造、本瓦葺、重層の堂々たる楼門(国宝)禅寺の中で最古の三門といわれる。室町時代の再建であるが、東大寺を手本に創建された先代の様式を模したためか、大仏様の影響が認められ、他の五山などの禅寺には見られない特徴的な姿である。左右に、上層に上る階段を覆う切妻屋根の小建築、山廊が設けられている。上層には16羅漢像などを安置するが、一般には公開していない。

 京都めぐり、禅堂を旅行。

室町時代の建立(重文)。現存する禅堂として、日本最古であるばかりでなく、唯一の中世遺構でもある。火燈(かとう)窓が美しい。
禅堂禅堂

 京都めぐり、東司を旅行。

東司(とうす)とは便所のことである。日常生活そのものを修行の一部と考える禅宗では、便所も重要視され、七堂のうちに数える。室町期の遺構。ただし、実際に便所として使用されてはおらず、内部の施設は残っていない。通称「百雪隠(せっちん)」。

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