京都旅行寺めぐり |
京都 | |
| 旅行 | ||
| 養源院 | ||
| 養源院 (地図) 京都市東山区三十三間堂廻り656 |
養源院 |
京都めぐり、養源院を旅行。養源院(ようげんいん)は、三十三間堂の東向かいに位置する。豊臣秀吉の側室となった浅井長政(あざいながまさ)の長女・淀君(よどぎみ)が、浅井一族の霊を慰めるために秀吉に頼んで文禄3年(1594)に建立。浅井長政の法名・養源院をそのまま寺号とした。 |
| 浅井長政は近江を代表する戦国大名で、長政の時代には織田信長の妹・お市(いち)をめとって近江の大半を領するほどに勢力を増した。 しかし後年に信長と対立し、天正元年(1573)に居城・小谷城(おだにじょう)を攻められ一族は滅亡。お市の方や娘たちは信長によって保護されたが、そののちも浅井家ゆかりの人々とn交誼を絶やすことはなかったという。 元和5年(1619)、養源院は火災で当時の建物を焼失し、その2年後、徳川秀忠と再婚していた淀君の妹・崇源院(すうげんいん)が再興。淀君は大坂夏の陣ですでにこの世を去っていた。姉妹は結婚により政治的な立場を対立したが、実父をしのぶ気持ちは同じだったのだろう。 建物の再建には伏見城の旧材を用いた。客殿の天井は、関が原のときに西軍に攻められ、自刃した鳥居元忠(とりいもとただ)の血痕が残る板を使ったといわれ、血天井として名高い。 |
京都めぐり、
現在、養源院は客殿(現・本堂)、書院、護摩堂、表門が残る。往時はほかに小書院、台所など幾つかの建物があったが、明治維新の変動で失われてしまった。本尊は、阿弥陀如来立像である。小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作といわれる池庭も、今はほとんど本来の形をとどめていない。 |
阿弥陀如来立像 |
襖絵 杉戸絵 |
京都めぐり、襖を旅行。俵屋宗達(たわらやそうたつ)が伏見で戦死した武士の霊を慰めるために描いたと伝えられる。当時は、金の襖が8面あって、一室の4面をかざってあったという。 大胆で意匠化された杉戸の象の絵は、画面からあふれんばかりの充実感があり、しかも、ユーモラスである。 |
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