京都旅行寺めぐり |
京都 | |
| 旅行 | ||
| 髄心院 | ||
| 髄心院 (地図) 京都市山科区小野御霊町 |
髄心院 |
京都めぐり、髄心院を旅行。このあたりは、平安時代よ小野という地名が付いており髄心院(ずいしんいん)は小野小町(おののこまち)が住んでいた住居の跡であると伝えられるが真偽のほどは定かではない。小野小町は実際の生年月日などの記録がまったく残っておらず、歴史人物のなかでも謎多き人物の1人とされる。 |
| 美人で歌人として優れた才能を持っていたことはまちがいないと思われるが、その他についてはさまざまな伝説があり一定しない。 男性遍歴の逸話も豊富だが、九十九日間通い続けたという深草(ふかくさ)少将との話がもっとも有名であろう。髄心院には深草少将が通ってきた証明に残していったとされるカヤの実が飾られている。 寺の歴史は平安時代中期に始る。仁海(にんかい)僧正が亡き母親が赤牛となっている夢を見たため、実際にその牛を探し出し母と思って考養を尽くし、牛の死後はその皮に両界曼荼羅(まんだら)を描いて本尊としたという。そのため当初は牛皮(ぎゅうひ)山曼荼羅寺と号していた。仁海僧正は真言宗小野派の始祖で、小野の地名は小野氏ではなく髄心院の宗派からきているのではないかという説もある。 鎌倉時代以降は門跡寺院として発展。室町時代は応仁の乱で1時衰退したが、国家の安定とともに再興した。宗派は昭和6年に小野派から善通寺派にかわり現在にいたる。 |
京都めぐり、本堂を旅行。慶長4年(1599)の再建。寝殿造で奥書院、庫裏などの建物と回廊でつながっており、殿舎の中に大小の坪庭を設ける。本堂の阿弥陀如来像は重文。小野小町がもらった恋文を下張りにして作られたといわれる小野文張(ふみばり)地蔵もある。 |
本堂 |
![]() 小野梅園 |
![]() 小町塚 |
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